婆ちゃんに戦争の話聞いたらすごい人が出てきた
俺の婆ちゃんは95歳。(こないだ97歳で安らかに永眠)
婆ちゃんは自分から話すことは無いが、こちらから聞けば、子ども頃の話、戦争の話など教えてくれる。今は寝たきりで長い間話せないが、忘れないように今まで聞いた話をまとめておく。
日本兵最後の戦死者と同級生だった話
戦争後も長い間、日本兵として生きていた人物として「横井庄一」や「小野田寛郎」が有名だが、実は、日本兵として"最後に死んだ"兵士「小塚金七」はあまり知られていない。
婆ちゃんはその小塚金七と小中学校が同級生だった。
小塚金七は小野田さんの部下であり、約30年間、戦後もフィリピンのルバング島で日本兵として生きていた人だ。1972年(昭和47年)にフィリピン警察軍に射殺されている。
婆ちゃんは、卒業写真を見ながら、「金七くんも、もう少し生き延びられれば、小野田さんと一緒に帰ってこれたかもしれないのにね…」と悲しい顔をして話してくれた。
実際には小野田さんが帰国する最大の切っ掛けとなったのが小塚金七の死だと思うので、生き延びていたとしたら、小野田さんも帰国せず、その部下の小塚金七も帰国はしなかった可能性は高いのだが、同級生で連絡先の分かる生存者はおらず、兄弟も9人いたが全員亡くなっているので、生きて帰ってこれていればという思いはとても強かったんだと思う。
婆ちゃんが持ってた卒業写真(小塚金七は赤丸で囲った少年)
大好きな叔父さんが反戦者だった話
叔父さんが「はだしのゲン」作者の作品に取り上げられている話
あの「はだしのゲン」の作者として有名な中沢啓治の作品で「ユーカリの木の下で」という漫画がある。これも「はだしのゲン」と同じく戦争・反戦をテーマにした漫画だが、反戦メッセージとしては「はだしのゲン」よりも強烈な漫画だと思う。
この漫画の中に、平井鉄太郎の言葉というものがあるが、この平井鉄太郎は、お婆ちゃんの叔父にあたる。平井鉄太郎は、小学校の校長で、昭和の初年から戦争に反対し ていたカトリック信者でもあった。
「この世界の片隅に」を見た小4の感想
私の親族は戦時中も戦争反対を掲げていて「はだしのゲン」作者の中沢啓治の作品にも名前が出てくる。当時、特別高等警察からも酷い目にあっていたそうだ。米軍もそうだが日本軍も含め憎むべきは戦争と気づいて欲しい
2017/01/03 23:45
婆ちゃんは漫画のことは知らなかったが、平井鉄太郎は大好きな叔父さんで家も近いのでよく遊びに行ったそうだ。
言論の自由なき世は
うばたまの
心の闇の牢獄とぞ思う
戦えば 必ず勝つと自惚れて
いくさを好むバカな軍人
我が力 かえりみもせで
ひたすらに
強き言葉を民は喜ぶ
<平井鉄太郎>
ユーカリの木の下で より
図書館を作りたかった叔父さんの本が八王子大空襲で焼けてしまった話
鉄太郎叔父さんは本が大好きで、自分が集めた本で図書館を作るのが夢だったのに、八王子空襲で全部焼けてしまったという話を婆ちゃんがしてくれた。鉄太郎叔父さんが小学校の校長として子どもたちに多くのことを学んでもらうために、私財を投げうってでも図書館を作りたいと言っていた夢を、反対し続けていた戦争によって奪われたのはとても悔しかったとも言っていた。
現在、八王子には叔父さんが寄付した公園があり、そこには焼けてしまった膨大な蔵書を惜しんで建てられた「図書塚」という碑が建っている。
碑には
平井鉄太郎先生万巻の書は
戦火に失せたり
されど愛は朽ちず
と刻まれている。